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優柔不断とはちょっと違う

2008 12月 17
by shinya

僕は以前、自分のことをとても「優柔不断な人間」だと思っていたことがあります。

最近、高校時代の友達と話す機会があって、「シンヤはまだ優柔不断なのか?」と聞かれて、いや、そんなことは全然ないぞと、優柔不断という言葉に違和感を感じたので、ちょっとそれについて考えてみることにしました。だって、自分のキャリアを振り返ってみても、結構ちゃんと決断している気がするからです、だからといって決断力がある!ともいえないですが、大学にしろ、大学院にしろ、職場にしろ、恋愛にしろ、結構それなりに決めてきた気がします。決断して、わりといろいろなものを捨ててきたと思うし。いや、結構大きいものを捨ててきましたよ、ほんと(あくまで、自分の中でのことですけど)。ミシガンに来た時も、すごくいろんなものを捨てましたしね(痛たたた…ははは)。

そりゃーもちろん、今でも確かに決断までは迷います。決断の時、まわりの人に「え、それで大丈夫なの?」と心配してくれたりされて、決断に自信がなくなったりもします。でも、わりと最後は自分の意志と直感を信じて、バシバシ決めてきた気がします。もちろん決断の後で後悔することがよくあるけど、決断しない限り、見えないものがありますからね。

だから、決して僕は優柔不断じゃないと思う。

でも、自分のことを優柔不断だと思っていたのには何かわけがある気がします。そう、僕は結構日常生活の中で、「どうしよう、どうしよう」と悩むことが多い。多分、それがそう思わせる原因だと思うようになりました。それが自分にも、周りにも優柔不断にうつるんじゃないかと。決断の後にも、自分の下した決断が正しかったのかで不安になって、やっぱり「どうしよう、どうしよう」となる。でも、そういう不安って、持ってもいいと思うし、決しておかしなことじゃないと思っています。

他にも、そういう迷っているときというのは、単純に決断の時ではなかったことが多い気がします。決断する必要もないのに、いろいろなことが不安になって、何かを決断しようとしている焦っている状態。時期尚早なのに、まだ情報やら人との交流やらが十分集まってきてないのに、気持ちだけが先走っている状態。そういう状態の時も、僕はとりあえず周りの人に話すし、自分でもすごく意識するので、それが優柔不断なんだと勘違いしてきたのかもしれません。

でも、それは優柔不断なんじゃなくて、決断するタイミングがまだ来てなかっただけ。だって、確かに僕は優しく、柔らかくいろいろなことを考えようとするけど、不断ではありません。最終的には自分で決断します。そして決断して、しばらくたったら、決してそれを変えようとせず、むしろ自分の決断が正しかったと思えるように行動していきます。

だからどちらかといえば、優柔不断じゃなくて、優柔決断型なんじゃないかと思うようになりました。そうじゃなかったとしても、そうなりたいですね。柔らかにいろいろな意見、機会を受け入れて、いつの日か訪れる決断の時に備える事ができればいいなと思っています。

僕に足りないのは。むしろそのための辛抱強さなのかもしれません。

だから、僕はきっと「優柔不断」なんじゃなくて、「せっかち」なんですね。

決断を急ぎすぎるあまり、いろいろ不安に不安が重なって、「どうしよう、どうしよう」となる。結果をすぐに求めるために、すぐに何かを変えようとして焦ってしまう。そう、きっと僕は「せっかち」なんです。

そんなわけで、どうしても今の自分にしっくりこない「優柔不断」という言葉とさよならするためにこのエントリーを書いてみました。

「せっかち」か…。そういえば台湾人の友達Rも同じこと言ってたな…。

そんな僕と友達のRにこの言葉を贈ります。

“Don’t hurry. Don’t worry. You’re only here on a short visit, so don’t forget to stop and smell the flowers”
by Walter Hagan

明日以降のことを思い悩んでばかりいずに、今も十分に楽しんでいきたいですね。

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